はじめての場所に足を運ぶ時には、不安を感じるものです。このページは、そんな方々の不安が軽くなるように、と願って作りました。ぜひ、一度お読みいただき、気楽な気持ちで教会に足を運んで頂ければ幸いです。
教会に来ている人は様々で、それぞれに教会に来ている理由は異なります。
教会に来ている多くの人が「洗礼」を受け、クリスチャンとして生活しています。クリスチャンは、イエス・キリストが私たちの救い主であり、神であると信じています。
キリスト教では、私たちは生まれながらに「罪」を持っていると考えます。罪というのは「法律に違反する」ということだけではありません。私たちは時に人を裏切ったり、約束を破ったり、悪口を言ったり、気がつかないうちに他人を傷つけてしまう時があります。人は基本的に自分中心に物事を考えています。神の存在を無視し、自分中心に生きることが「罪」だと聖書は教えています。
神は、約2000年前に、神のひとり子であるイエス・キリストをこの世に送られました。イエス・キリストは多くの人々の病気を癒やしながら、自分を信じることで、永遠の命が与えられ、天国に行くことができることを伝えました。しかし、それが神への冒涜と見なされ、十字架刑にかけられてしまいます。ところがイエスは3日後に墓の中から復活し、弟子たちの前に現れて、このことを世界中に知らせるように命令します。
これらのことは、すべて神の計画のうちで、イエスが出現する前から、旧約聖書で預言されていたことでした。イエスは人の罪をすべてかばって、私たち人間の代わりに、自ら十字架にかかったのです。その故に自らの罪を悔い改め、イエスを信じるものの罪はすべて赦されるというのです。
教会は聖人君子になりたい人が集まっていると思われるかもしれませんが、そうではありません。自らがどれだけ罪深いかを知って、赦しを求め、悔い改めて、天国に希望を抱いて、新しい人生を送っている人が集まっています。自分の力ではもうどうにもならないから、神に赦していただき、祈り、正しく導いてくださるようにと祈るのです。
神を信じていない人は自分しか頼りがありません。しかし、イエス・キリストを信じている人はイエス・キリストに寄り掛かることができるのです。人生でどん底のような状態になっても、希望を持って生きることができるのです。
このことは、なかなか信じられないかもしれません。今教会に来ているほとんどの人が最初はそのようでした。しかし、教会に来るうちに自分の罪が分かり、救われなければならない存在でることを理解して、洗礼を受けられました。もちろん、信じられずに教会に来なくなった人もいます。信じるかどうかを決めるのはご自身です。私たちは決して信じることを強制することはありません。
「人生とはなんだろう」「なぜこの世に生まれてきたんだろう」 「神は本当にいるんだろうか」
そんな疑問をお持ちの方はぜひ教会に足を運んでみてください。ちょっとでもあなたの人生の助けとなればと願っています。
ここでは、はじめての方がよく質問されることをまとめてみました。